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  >  Diary   >  Book Review   >  読書記録:山口周「ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す」

フランス人の彼と一緒に住んでいる、些細なことでも考えが違うと感じることが多々あります。政治や経済もその一つで、ニュースを見ていて二国を比較して討論になることがよくあります。

たとえば、教育。フランスでは、世帯の所得によって、教育にかかる費用が変わります。一律ではありません。わかりやすいところでいくと、学食の利用。世帯所得が低い場合、ほぼ無料のような価格で学食を利用することができます。教育のみならず、このような相互扶助が、社会をつくる上での考え方のベースになるのがフランスです。つまりは、社会主義の国。

それに比べて日本は、資本主義国でだなと思うことが、このコロナ禍でたくさんありました。そして、この国のあり方は本当に合っているのか、と疑問に思うことがありました。

その一つが、病院の病床について。日本は世界の国々と比較しても、病床数はトップクラスの多さを誇っています。人口1000人あたりの病床は13.0床(出典:2021/1 『病床数の国際比較』 公益社団法人 日本医師会)あるそうです。

しかし、コロナ禍において、病床が足りない!と言われてきました。第一波の時の緊急事態宣言からおよそ半年ほど時間はあったにも関わらず、医療の準備体制が整わなかったのはなぜなのか?と疑問に思った人も少なくないと思います。

その理由がどこにあるのか、様々なメディア(テレビではあまり放送されていない)で取り上げられています。

対応できない理由は簡単で、医療資源はあっても、それをコロナのために動かすことができないからである。病院は、私立はもちろん、国立でも公立でも大学病院でも独立採算だから、コロナ患者を受け入れて赤字になるわけにはいかない。院内感染を起こせば休業しなければならない。それは他の患者や地域に大変な迷惑をかけるし、病院は大赤字になる。厚労省は、独立採算の病院に命令することはできない。

2021/1 『医療資源が不足していない日本で「コロナ医療崩壊」が起きる理由』 Diamond online

つまり、病院はそれぞれでコロナの患者を受け入れる・受け入れないを決めることができるのですが、その動機が収支、つまりはお金にあるわけです。フランスだと、法律で命の危機に瀕している患者は受け入れなければいけないと決められているそうで、断ることはできません。日本は、それが可能であり、たらい回しののちに死亡、という事態がずっと昔から存在するわけです。

正直、新型コロナウイルスの流行前までは、自国の医療体制や国としてのあり方なんて考えることはなかったです。どこか人ごとでした。そして、日本という国の政治も、投票には毎年行くけれども、ここまで深く考えることもなかったと思います。このことに気がつけたのは、コロナ禍を経験して、かろうじて見つかる良かった点の一つかもしれません。

そんな中で、「社会主義(ソーシャリスト)」と「資本主義(キャピタリスト)」の話を会社の日報に書いたら、ボスが一冊の本を貸してくれました。それが、山口周さんの「ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す」です。前置きは長くなってしまいましたが、いくつかフレーズで良いな、というものがあったので、ここに書き残しておこうと思います。

責任ある消費を心がける

本作の中では、もう私たちの経済は頭打ちで、これ以上の成長を見込むことは難しいと書かれています。その中で、私たちはどのように社会をつくる行動をしていくべきなのか、ということが書かれています。

その一つに、「責任ある消費」が挙げられています。

私たちが、単に「安いから」とか「便利だから」ということでお金を払い続ければ、やがて社会は「安い」「便利」というだけでしかないものによって埋め尽くされてしまうでしょう。

p.247「ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す」山口周

私たちの消費の行動も、これからの社会をつくる上で重要なことだ、ということが書かれているのですが、この観点は私には足りていないなあと思うことの一つでした。

確かに価格や便利さでものを選びがちです。例えば、一つお弁当箱を買う時。職人さんの曲げわっぱと、密閉性がよく保温性も良いメーカーのお弁当箱。どちらも違う魅力がありますが、昔の私であれば曲げわっぱは検討もせずに後者を選ぶでしょう。なぜなら、「安く」て「便利」だからです。

ただ、私たちみんながこのような選択をすると、曲げわっぱのお弁当箱をつくる職人さんは、数年後にはいなくなるでしょう。テレビ番組をみて、この職人さんは少なくなっているんだ、大変だな、と思うこともありましたが、自分が実際に支援をできる立場にあるなど考えたことはありませんでした。

私たちの消費によって、次世代に本当に残したいものを継承していく。その選択肢は、私たちが選ぶことができる、ということを改めて考えさせられました。

「クソ仕事」を減らすための政策

より良く生きるためには、やりたくない仕事ではなく、好きと思える仕事をする、ということを実現していくことも大事、と書かれているのだけれど、そのためには増税が必要だと主張しています。フランスと比較すると、日本は累進課税の税率って高所得者になると緩やかになっているんですよね。日本は税率がまだまだ低いし、確かに増税は今後も免れないだろうなあと個人的には思っています。

そして、増税したらなぜ人々はやりたくない仕事をやらなくなるかというと、

一つ目の変化は、あくせく働いて年収を上げるのはバカらしいと思う人が確実に増えるということです。必死に働いて高額の給料をもらうようになったとしても、その多くが税金として国に取られるということになれば、多くの人はお金のためではなく、活動それ事態が喜びとなるような仕事を選ぶでしょう

p.292

と記されていました。確かにこれはなるほどな、と思います。

ただ、日本の今の現状って、なかなか資本主義の活動で解決できない社会的問題というのは、ビジネスとして成り立たせるのが難しいと思います。だって、人々の行動にも資本主義が染み付いているから。社会的問題はなんとなくお金にしづらいし、お金にしづらい活動を続けていくのは至難の技です。私も前職はそのような活動をしていたのだけれど、なかなか収支が合わなくて大変でした。

根本から国が国としてのあり方を考え、政策などを進めて行かないとこの山口さんが言っていることを実現するのは難しいのだろうな、と感じますが、色々と個人のレベルで行動を変えることは可能なので、何にも社会に影響はないとは思うけれども、自分のできる範囲の行動から変えていこうと思います。

フランス・パリに1年留学。ニューカレドニアで7ヶ月就労。現在は日本でOL生活。フランスが好き。フランス語勉強中。